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      <title>ZENTA</title>
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      <description>オモシロキコトモナキ世ヲオモシロク</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2007</copyright>
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            <item>
         <title>ノーベル賞</title>
         <description><![CDATA[ノーベルの一番の発明は、
ノーベル賞を発明したこと。
<br>
<br>
<br>
<br>]]></description>
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         <category>206</category>
         <pubDate>Thu, 25 Oct 2007 17:26:37 +0900</pubDate>
      
      </item>
            <item>
         <title>政治</title>
         <description><![CDATA[僕は小さい頃から政治とは戦うことを避けることだと思っていた。
だから、政治家だけが政治を行っているんじゃないとも思っていた。
本を読んでいても、絵をみていても政治を感じることができる。
作家も画家もみんな政治家だ。政治家だけが政治家じゃない。
<br>
<br>
<br>]]></description>
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         <category>204</category>
         <pubDate>Wed, 24 Oct 2007 02:16:56 +0900</pubDate>
      
      </item>
            <item>
         <title>疑</title>
         <description><![CDATA[僕の「文章」には、同じようなものが多々ある。
というより、思いが同じようなものなものが多々ある。

コトバのパワーをすごく信じている。
何回も疑い続けて、今も信じているのである。

コトバは、ほんの些細なことで、例えば1文字違えば、
伝わり方が全然変わるという恐ろしさを持ち合わせている。

同じことを思っても僕は書き留めるようにしている。
実際に書いてみると、違うものに見えるのだ。

飛躍するように思うかもしれないが、
「疑」という概念はこの世の真理じゃないだろうか？
壊すことや一見真逆に聞こえる信じるということも、
「疑」という行為あってのものだと思うからだ。
進化する上でのいわば必需品。
「疑」うことだけは疑わない。

僕が一貫していることはいろんな光をあてること。
同じものでもあらゆる角度から光を当てる。
その光が弱くとも、多ければ多いほどなおよし。

それが疑の技ともいうべきか、
壊すことでもあり信じることでもある。
それの繰り返しでもある。

少しそれているように思うかもしれないが、
同じようなことも書いている理由はそこにある。
これからも光を当て続けたいし当て続けるつもりだ。

アリストテレスじゃないが、色は光の中にだけあって、
闇にはないのだ。光があってこそ、色がついて見える。

今書いてきたことも、疑う。
こういう書き方をしている理由もこれだ。
<br>
<br>
<br>
<br>]]></description>
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         <category>207</category>
         <pubDate>Tue, 23 Oct 2007 02:03:52 +0900</pubDate>
      
      </item>
            <item>
         <title>詩？</title>
         <description><![CDATA[いろんな詩を読んでみて
過去に詩人と呼ばれた人の作品から、
いわゆる「名作」といわれている作品まで

しかし　どうもピンとこない
しかも　どれもピンとこない

僕の作品の方が優れているからだろうか
僕に作品を理解する教養がないからだろうか
僕が作品を感じる感受性が鈍っているからだろうか

たまに　有無をいえないくらいのとてつもない
衝撃を、「未熟モノ」からくらう時がある

ただし　詩を詠む時間が贅沢に感じる今に、
恥ずかしいくらいにありがとう、といいきかせる
<br>
<br>
<br>

]]></description>
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         <category>205</category>
         <pubDate>Tue, 23 Oct 2007 01:54:25 +0900</pubDate>
      
      </item>
            <item>
         <title>本捨て</title>
         <description>もちろんお世辞だろうが「物知りですねぇ」と言われる。
自分でも決してそんなことはないと思っている。
僕は、今まで「なんなんだこの人の知識の量は！」
と思う人に何人かお会いしたことがある。
そういう人たちと会うと、どうやっても勝てないと打ちのめされる。

僕は頭の中は本棚と一緒だと思っている。
本棚＝記憶できる量、本＝記憶、だ。
僕が打ちのめされた人というのはとにかく本棚が馬鹿でかい。
収納スペースが山ほどある。
僕の場合はどこにでもある一般的な本棚だ。
だから、本をいっぱい詰めようとしても大きくないからそんなに入りきらない。
入るようにするには上手い具合に工夫をしなければならない。

僕の場合の工夫は簡単だ。
本（知識　記憶）を捨てることだ。
でもその捨てる作業がとても肝心だ。
とにかく吟味しなければならない。
僕はその吟味する作業がとても楽しい。

本棚に残ったものが自分だといえるものである。</description>
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         <category>203</category>
         <pubDate>Sun, 21 Oct 2007 23:10:30 +0900</pubDate>
      
      </item>
            <item>
         <title>落ちこぼれの視点</title>
         <description><![CDATA[日課のサイクリング。
ふと立ち止まってみる。すると、
「こんなところにこんなお店あったっけ？」

立ち止まることによって、
見えなかったものが見えるようになるんだなぁ
と、そういうことに気づく。

感覚を磨くためには、
一度立ち止まらなければならない？！
立ち止まる行為って、進化！？（退化？）

一般社会では立ち止まっている人間は、
落ちこぼれとされているし、僕も何も感じることが
できないくらい走り続けたいと思うが、落ちこぼれにしか
気付かない客観的な視点も同じくらい捨てがたい。

<br>
<br>
<br>
<br>]]></description>
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         <category>208</category>
         <pubDate>Fri, 19 Oct 2007 18:29:04 +0900</pubDate>
      
      </item>
            <item>
         <title>ing</title>
         <description>考えたってロクなことがないのはわかっている。

でも、ふと考えると

前に考えた時と考え方が違うことに気付く。

また、ふと考えると

前に考えた時と考え方が違うことに気付く。

成長を感じる至福の時でもあり

感度の高さが増すにつれ

感度の高さに気付くにつれ

成長より老いへの哀愁も感じるときでもある。</description>
         <link>http://xyzenta.com/2007/10/ing.html</link>
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         <category>201</category>
         <pubDate>Fri, 19 Oct 2007 17:21:32 +0900</pubDate>
      
      </item>
            <item>
         <title>GEISAI</title>
         <description>■■■■■■■
■■■■■■■
■■■■■■■
■■■こ■■■
■■■れ■■■
■■■は■■■
■■■不■■■
■■■良■■■
■■■品■■■
■■■で■■■
■■■す■■■
■■■■■■■
■■■■■■■
■■■■■■■
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この作品でゲーム性・パズル性を楽しんで下さい。

ヒント
（１）リジット（制約条件）から偶然（必然）にも
　　はみ出た誤差を、単に楽しみたいだけなのです。
（２）http://xyzenta.com/

東京大学　複雑系モデル研
∞ZENTA∞</description>
         <link>http://xyzenta.com/2007/10/geisai.html</link>
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         <category>202</category>
         <pubDate>Fri, 19 Oct 2007 01:47:18 +0900</pubDate>
      
      </item>
            <item>
         <title>万座から</title>
         <description><![CDATA[コトが起こった（あった）からみんなでソレを護ろうとした。
そのコトが悪いことだったらそのコトがもう二度と起きないように、
というソレになるだろうし、逆にそのコトが良いことだったらそのコトが、
もっと起きるようにというソレになるだろう。

しかしコトを知らないという人は、
当然なぜソレを護るのか意味がわからない。

コトがあってはじめて成立するソレ。
ソレを改めるという意見が出てくるということは、
コトを知らない人が増えてきたということ。
増えてきたということはいづれコトを知らない人だけになる。
当然コトを知らない人だけになればソレは必ず改まる。

結局はコトを知っている人が、
そのコトをどれだけ知らない人たちに伝えられるか、
コトを知らない人たちがそれだけコトを知ることができるか、想像できるか。
伝わらなくなった時点でソレは改まる。
コトを経験した人でつくったソレということだから。
<br>
<br>
<br>]]></description>
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         <category>195</category>
         <pubDate>Mon, 27 Aug 2007 02:36:31 +0900</pubDate>
      
      </item>
            <item>
         <title>うちなー</title>
         <description><![CDATA[the stage of Kitano films
the land where English is spoken
the place to start a whole new life

All you've got to do is dream, all you've got to do is dream...
(DREAMGIRLS, Original Broadway Cast Album)

興奮が覚めやまない。
<br>
<br>
<br>
<br> 

]]></description>
         <link>http://xyzenta.com/2007/08/post_208.html</link>
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         <category>196</category>
         <pubDate>Sun, 12 Aug 2007 00:11:32 +0900</pubDate>
      
      </item>
            <item>
         <title>stay hungry, stay foolish</title>
         <description><![CDATA[「人を救いたいと思うのに、訳なんているんすか？」
（某友人@医学部入試面接）
お、おぉ…

「人を好きになるのに、訳なんているの？」
（某歌その他）
は、はぁ…

「企業に入りたいと思うのに、訳なんているんですか？」
いるんだなぁ、これがっ！！

つー訳でstay hungry, stay foolish.
再開じゃ！！
<br>
<br>
<br>]]></description>
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         <category>197</category>
         <pubDate>Sun, 12 Aug 2007 00:07:29 +0900</pubDate>
      
      </item>
            <item>
         <title>にのやん</title>
         <description><![CDATA[あの世はいいところらしい。だって行った人は誰も帰ってこないんだから。
（爆笑問題かうぼぉい）

連日自殺なり自殺予告報道でメディアが賑わっている。
「命の大切さを分かっていない」「誰かに相談を」など様々な意見が飛び交う。
ほんと不愉快になる。

元来日本は自殺率の非常に高い国であり、その率世界10位だ。
そういった背景抜きに自殺が急に増えたかのような一部報道には失望する。
何より「命は大事だ」何て今になって出てくる意見ほど、
無責任で説得力に欠けるものはない。

本気で自殺を考えている人がいたら、そんな言葉に「ありがとう」だろうか。
逆に死ぬ死ぬ言いたい人には、「いのち電話」などは構ってもらえるとても
居心地のいい場になるかもしれない。

それとも、「説得に応じて自殺を辞める少年」
こんな見出しが飛び交う未来が待ち受けてたりするのだろうか。

時期を同じくして女王の教室の再放送が流れてる。これ偶然？
「悔しかったら自分の人生くらい、自分で責任持ちなさい！」

なにか？
<br>
<br>
<br>
<br>]]></description>
         <link>http://xyzenta.com/2007/08/post_207.html</link>
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         <category>198</category>
         <pubDate>Sat, 11 Aug 2007 23:56:52 +0900</pubDate>
      
      </item>
            <item>
         <title>zentaの理由</title>
         <description><![CDATA[理由を聞いてくるような相手に

本当の理由を　全て正確に伝えたところで

理解されることはない

<br>
<br>
<br>
<br>]]></description>
         <link>http://xyzenta.com/2007/07/post_206.html</link>
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         <category>199</category>
         <pubDate>Tue, 24 Jul 2007 22:22:49 +0900</pubDate>
      
      </item>
            <item>
         <title>YSKN</title>
         <description>問題を起こしたり、失敗したりする奴の原因や理由は、
色々あると思うが僕のまわりでよく起きる「問題」や「失敗」と
定義されるものの発生するケースでは、僕にしてみれば、

「こんなもの（原因や理由）の為にそこまでしたからこうなったんだ」

と感じることが多い。

以下、「こんなもの（原因や理由）＝A」と置き換えることにする。

しかし、たいしたことがないと感じるのは僕だけなんだろうということで、
彼らが失敗や問題が起こすのはその「A」を重要視しているからであり、
本人からすればそのAは、とても「たいしたことがある」のだ。

彼らは誰よりもそのAに対する「思い入れ」が強かったハズである。
「失敗」だ「問題」だと評価されることが多いのであるが、
そのものに対して思い入れが強かったり、執着したりすることは、
大いに評価できるのではないだろうか。

「問題」を起こす奴は「結果」として「よくない」が、
実は誰よりも愛着があるんじゃないかと思ってしまう。

「問題」を起こさない奴は「結果」として「悪」をもたらすことはなくても、
それは単に愛着や思い入れがないだけではないだろうか。

●前者は何かの為に行動している
　→その結果当然「失敗」も仕方がないし
　　 何を持って「失敗」なのかということもある

●後者は行動していない
　→何もしなければ良いも悪いもない

僕はここでいうところの後者、というわけである。</description>
         <link>http://xyzenta.com/2007/07/post_205.html</link>
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         <category>200</category>
         <pubDate>Mon, 23 Jul 2007 00:49:11 +0900</pubDate>
      
      </item>
            <item>
         <title>感情の割合</title>
         <description>「感情はパーセンテージだ」と僕は思っている。

怒りを感じている時にも、
哀しさや楽しさや喜びなどの
あらゆる全ての感情（要素）が存在していて、
ただ、その時最も占める割合の多い感情を、
喜怒哀楽に代表される感情パターンの中から、
自分が解釈しやすいように「感じる」だけだと思っている。

（例）自分（怒80%、喜20%、楽2%…、…）＝怒のみ！

それでいて僕の表情の根幹となるのは、
要素の少ないほうに影響されるから性質が悪いのである。。</description>
         <link>http://xyzenta.com/2007/07/post_193.html</link>
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         <category>181</category>
         <pubDate>Thu, 12 Jul 2007 09:28:39 +0900</pubDate>
      
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